散らかった部屋の中

整理の付かない言葉たちの寝床

日々、無精な気持ちとせめぎ合うのは何故なのか

さして深い話ではないんですが、私の生活の中には「やるべきこと」が山ほどあります。

 

「やるべきこと」とは、「やらないとしょうがない」、「やっておいた方が良い」というようなことで、概ね「やりたくない」、「めんどくさい」こととイコールです。

 

葛藤するのは、家でも会社でも「やりたくない、めんどくさい」の、心を占める割合がデカいこと。 私の毎日は今のところ、そうした「無精な気持ち」とのせめぎ合いが全てと言って良いかもしれません。

 

疲れてるから、遅くなったから、休んでからにしよう。あの人が帰るんだし俺も帰っちゃおう、これは明日やれば良いや。

カミさん(または子供)が始めるって言うまで待とう。洗濯機が止まるまで10分だけ横になってよう。6時になったら動こう。

などなど。

 

何かしら後回しにしたり休むための言い訳を探しているような感じ。まぁ、実際疲れてるんですよ。本音で休みたい。ですがね…。

 

人がそんな風にしてるのを見ると、そんなことして何になるんだよ、と思うんですよ。

 

その人だって疲れている。肉体的にも精神的にも辛いんだ、というのも理解は出来るんですけど、じゃあ疲れてるから後回しにして休むのか、といったらそうじゃないことが多いわけです。

 

テレビを見る、スマホタブレット、PCを見る。ゲームをする。本を読む。本当に動けない場合もありますけど、それでいつも時間が無くなってテンパったり、自分が言い訳に利用したくせに人に責任転嫁してるのも目にしてるから、何で繰り返すんだろう、頑張ってやってしまえば良いのに、と。

 

そんな場面に出くわす度、私はああはならない、自分をコントロールするぞ、と気を引き締める。で、頑張ってこなすようにしてるんですけど、いつもコントロール出来ているかといったら出来ない時も勿論あって…。結構やれてるとは思うんですが、何にせよ意志で自分をコントロールするという状態は、実のところ私の理想からは遠いものです。

 

何て言うんですかね。

 

疲れていたって休日に遊びに行くとか、趣味などやりたいことはもちろん、テレビやなんかにも時間を費やせるのに、何故「やるべきこと」にはなかなか気持ちが向かないのか。

 

「やるべきこと」って生活上、必須のことだったりするわけですよ。学生の頃だったら勉強とか家の手伝いとか。バイト…は嫌じゃなかったから別かな。

社会人、家庭人(?)たる今の自分にとっては、仕事やその関係の人たちとのお付き合い、資格取得のための勉強。また家事だったり保険とかの検討だったり、子育て、教育に関することやペットの世話、ご近所付き合いとか。

 

これ、「やりたいこと」は楽しいから、「楽なこと」は楽だから、どんな状態でもいくらでもやれるけど、「やるべきこと」は楽しくもないし楽でもないからやりたくない、面倒だというなら、生活するのが楽しくない、面倒だ、と言ってるのと同じな気がするのですよ。

 

つまり、私という人間が生活そのものを楽しんでいない、ということなんじゃないのか。

 

逆を言うと、生活そのものを心底楽しんでいれば、意志で自分を鞭打たなくても、負担なんか感じずに「やるべきこと」をこなすんじゃないのか?と思っていて、そうあることが私の理想なのです。

 

「やりたいこと」をやるのは全然良いと思う。限度はもちろんありますが、好きなことをやるのは何も悪くない。限度を超えて人に迷惑や心配を掛けてしまうと、ツケみたいなものが何かしら自分に返って来ることがある…とは感じますが、生活を楽しんでいるなら、やるべきことをやった上での余裕の中で程良い楽しみ方が出来るはず、と私は思います。

  

ですが、何も生み出さないような「楽なこと」ばかりに逃げる。あるいは常に疲労困憊でひたすら寝ていなければ心も体調も保てない…。それはまずい。

偶にならOKです。むしろ必要だとも思いますが、そんなことが日常の大半を占めるようだと、その時の私は生活から、人生からほぼ苦痛しか感じるものが無くなってるんじゃないだろうか。

 

そんな状態にはなりたくない。ならないようにしたい。だから生活を楽しみたい。それには何をどうしたら良いのか?と、未だに試行錯誤しているわけなのです。

 

まぁ理想論です。 そもそも答えなんか無くて、あえて言えばそんなこと考えなくてもそういう風に生きてる人が、それが何かも解らずに持ってるものなのかもしれませんし。

 

それだと考えてる時点でもうアウトか(;゚Д゚)

 

 

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でもいいや。凡人だし。