散らかった部屋の中

整理の付かない言葉たちの寝床

人生にもメガネ

私は近視だ。乱視も強い。昔はコンタクトだったが、今は専らメガネをかけている。まぁ、楽だからね。それはそれとして…

 

メンドくさがりで何かと手を付けるのに時間が掛かる。自分自身の、何とかしなきゃと思う部分の筆頭だ。

 

自分にそんな短所があるなんて昔は全く気付いてなかった。気付いたのは社会に出てから。担当する顧客や案件を持ち、それに対する責任を認識するようになったことで課題として意識するようになったわけだ。

 

 

 

というのはウソ。

 

本当は何度も怒られたり見捨てられたりして、嫌でも自覚せざるを得なかっただけ。まぁ、ダメな奴だった。

 

億劫がって後回しにしたり、分からないことがあるとなかなか手を付けられない傾向が自分にはある。それで当時、仕事で自分の首を絞めまくっていて。毎日苦しくて、何とかしなくては、と。

 

それで仕事のやり方をあれこれ試すようになった。自分を変えるというか、気持ちで克服するのは無理だと思ったので、仕事のやり方を工夫して何とかしようと。

 

あれこれ試行錯誤して、「お、これ行けるな」と思ったのが、自分自身を管理するための台帳を作ったこと。

 

自分がその仕事にどれだけの期間を掛けたのか。間の空いている過程があれば、そこを反省して見直すようにしたい、というのが要点。もちろんその理由を振り返って対策を立てようという趣旨なんだけど、加えて自分の性情を把握したいと思って。

 

スタートの反応が遅いのか、加速が鈍いのか、持続力に欠けるのか。

 

仕事の何が苦手というよりは、時間・期間に対する感覚の鈍さ・甘さに一番の問題がある。そう認識していたので、その点を重点的に確認し、改めるようにしたいと思って始めてみた。作ったのはそれらを俯瞰するフォーマット。

 

一つの案件について、内容、話をもらった日。期限を切られればその期限。あるいは自分で設定した期限。それを受けて自分がいつ動いたか。ヒアリングや調査、打ち合わせをした日とか、協力業者に見積もりを依頼した日、それに対する回答があった日、自分が見積もりを作成した日、提出した日。受注に至れば受注日、手配を掛けた日、日程をお客さんに通知した日、実施日、完了日など。特記すべきことや、補足事項などを書き込む欄も設けたが、基本、日付だけで埋めて行く形式。

 

まぁ…自分だけのための個人的な書類の作成なんて、業務としては余計な手間かもしれないが。

 

でも、これ副作用というか、その台帳を付け始めたら、とにかく日付を埋めたいという衝動に駆られるようになった。

 

日付の間隔をあまり開けたくなくて、出来るだけ詰めてやろうというのがモチベーションになり、億劫に感じても手を付けられるようになったのだ。分からなければ面倒くさがりつつ、早めに聞いたり調べたりするようにもなり。自分の傾向・性情を意識して、対策を立てるのに役立てようと思って始めたのに、それ自体が対策として機能してしまったというか。

 

もう一つ、その頃To Doリストを併用し始めていて。それらのおかげで、やるべきことが段々溜まらなくなっているなと実感するようになった。今何が残っていて何をするべきか、しなくて良いかが分かるし、毎日の何だかモヤモヤした、これで本当に大丈夫なんだろうか…みたいな不安が軽減され、気持ちが相当楽になった。以後、仕事の量は増えるようになってしまったけど、逆に気持ちに余裕を持てている。未だに完璧ではないけどそれなりに自信がついて、仕事自体は楽しく感じられるようになった感じ。

 

なんて。

 

正直言うと楽しいのは「仕事」というより、台帳のストックだったりする。仕事そのものからは、ストレスは多分なくならない。人間関係とかもあるし、仕事ではなく、実のところ台帳を着実に埋めることや、To do項目を消化してチェックを入れるのが楽しい。

 

ゲームで遊んでいるわけじゃなし、目的は正直、本筋から確実にズレていると思うけど、それでも今、お客さんたちから「すぐ動いてくれて有難い」、協力業者さんたちからは「あなたの仕事は安心して出来る」という評価を頂けている。気は抜けない。でも信頼を得ることには繋がってる、という手応えはある。

 

で、考えるのだが…自分に良くないと思うところがあればそれを直したい。ただ、根本を直すのって難しい。上にツラツラ書きはしたけど、「手を付けるのが遅くなりがち」っていう私の性質は多分変わってはいない。メガネで視力を矯正してるような状態だと思っている。「台帳」、「To doリスト」という矯正器具で、何とか人並みを維持出来るようになっただけ。それを外せば、視界はまたぼやけるんだろう。

 

だけどそれでまぁ良いかな、って。 メガネを掛け忘れて外に出るなんて、あり得ない。同じように何かしらのツールを、体の一部みたいに自然に身に付けるようになれば…十分補うことが出来るんだ、って思えるようになったから。欠点に囚われて苦しまなくても良いんだ、と。

 

それが、自分にダメだなと感じる部分を見付けても、悲観することない、大丈夫、何とかなる、と言い聞かせられる根拠になっている。

 

f:id:karakuri-london:20191214144050j:plain