散らかった部屋の中

整理の付かない言葉たちの寝床

夢って叶うものなのか

「夢は諦めなければ叶う」というフレーズをよく耳にします。夢を叶えた人たちが言うことなのでその気にさせられるんですけど、本当でしょうか?


身も蓋も無い話ですが、私は叶えられてなくて、本当だと断言は出来ません。ただ、叶うかどうかではなく「諦めない」という意識、これは本当に大事だと思うのです。


「諦めない」とはどういうことか。
思いつくのは


挫折を味わっても挫けない。
成功するまで何度でも挑戦する。
その夢を持ち続ける、叶うと信じ続ける


当たり前過ぎるかもしれませんが、要するに「継続すること」です。でもそれは、私に何が難しかったのかという問いにしっくりくる答えではありません。

ではその答えがどんなものかというと、


本気で臨む


ということです。諦めないとは、それを本気でやることだ、と。その姿勢が無ければ、だらだら継続したところできっと手は届かない。



何かに挑もうという時、私はネガティブな想いを頭から拭うことが出来ません。


「上手くやれるかな」
「恥ずかしい思いをしたら嫌だな」
「孤立したくないな」
「辛くても耐えられるかな」
「続けていけるかな」


心配なのは叶うか叶わないかではなく、伴うであろう精神的な負担。それも今より、先のこと。正直そんなの余計な心配だし、余計な感情です。


今そういう状況に苦しんでいるなら切実ですが、心配しているのは先のことだから、まだ現実でも何でもない。単なる想像です。
その想像に過ぎない未来を、追って来る現実のように捉えて勝手に不安がる。なんという無駄な作業なのか。


不安を意識しないのは無理ですが、夢を追おうかという時にそれとまともに向き合う必要は無いと思うのですよ。
それなのにがっつり向き合ってしまった過去の自分を思い返すと、私はその挑んでいたことに対して、本当は及び腰だったんだな…と思い知る。


実現したいとすごく思ってはいたけど、心の奥底で、実現するのを怖がってもいたんだ、と。


その怖さが勝って先のことを考え過ぎ、それに躊躇して奥へ踏み込み切れなかった。


結果、やるべきことに手を付けるのが遅かったり、「待つ」など消極的な選択をすることもあった。それではとても、本気で挑んでいたとは言えない。諦めていたのと同じです。


本気なら躊躇なんかせずその時その時、やるべきと感じたことに全力でトライしたでしょう。


先のことを考え過ぎると、私という人間は弱くなる。とことん前向きに(あるいは楽天的に)考えられる人、それかグダグダ考えないで走れる人はいいですけど、私が本気で臨むには刹那的に生きなくてはダメなんだと思うのです。


刹那的という言葉はイメージが良くないかもしれません。でも行き当たりばったりとか今を楽しく過ごせればそれで良いとか、そういう意味ではない。先のことより「今」を見る、「今」に集中する、大事にする。そういうことです。


だから、


どんな未来を想像しようと、受け止めて前に歩け。その上で今やるべきと思うことに心を向けろ。余計なことは考えず、全力でそれに打ち込め。


今の私が挑むのは「夢」というより「目標」ですが、意識的にこんなことを自分に言い聞かせながら、取り組んでいます。



f:id:karakuri-london:20181226232903j:plain