その場しのぎはやっぱダメ
ケージを掃除する間は、まるをサークルの中に避難させます。でもすぐよじ登って、ちょこちょこ脱走しては報告に来るから、何か違うものを考えなきゃなー…と毎回、思います。
ところが掃除が終わると頭から抜けちゃって、次の掃除の時にまた「あっ!」…の繰り返し。
今回、空いてる段ボール箱があったのでそれを使ってみました。
まぁ、そうなるよね。
夢って叶うものなのか
「夢は諦めなければ叶う」というフレーズをよく耳にします。夢を叶えた人たちが言うことなのでその気にさせられるんですけど、本当でしょうか?
身も蓋も無い話ですが、私は叶えられてなくて、本当だと断言は出来ません。ただ、叶うかどうかではなく「諦めない」という意識、これは本当に大事だと思うのです。
「諦めない」とはどういうことか。
思いつくのは
挫折を味わっても挫けない。
成功するまで何度でも挑戦する。
その夢を持ち続ける、叶うと信じ続ける
当たり前過ぎるかもしれませんが、要するに「継続すること」です。でもそれは、私に何が難しかったのかという問いにしっくりくる答えではありません。
ではその答えがどんなものかというと、
本気で臨む
ということです。諦めないとは、それを本気でやることだ、と。その姿勢が無ければ、だらだら継続したところできっと手は届かない。
何かに挑もうという時、私はネガティブな想いを頭から拭うことが出来ません。
「上手くやれるかな」
「恥ずかしい思いをしたら嫌だな」
「孤立したくないな」
「辛くても耐えられるかな」
「続けていけるかな」
心配なのは叶うか叶わないかではなく、伴うであろう精神的な負担。それも今より、先のこと。正直そんなの余計な心配だし、余計な感情です。
今そういう状況に苦しんでいるなら切実ですが、心配しているのは先のことだから、まだ現実でも何でもない。単なる想像です。
その想像に過ぎない未来を、追って来る現実のように捉えて勝手に不安がる。なんという無駄な作業なのか。
不安を意識しないのは無理ですが、夢を追おうかという時にそれとまともに向き合う必要は無いと思うのですよ。
それなのにがっつり向き合ってしまった過去の自分を思い返すと、私はその挑んでいたことに対して、本当は及び腰だったんだな…と思い知る。
実現したいとすごく思ってはいたけど、心の奥底で、実現するのを怖がってもいたんだ、と。
その怖さが勝って先のことを考え過ぎ、それに躊躇して奥へ踏み込み切れなかった。
結果、やるべきことに手を付けるのが遅かったり、「待つ」など消極的な選択をすることもあった。それではとても、本気で挑んでいたとは言えない。諦めていたのと同じです。
本気なら躊躇なんかせずその時その時、やるべきと感じたことに全力でトライしたでしょう。
先のことを考え過ぎると、私という人間は弱くなる。とことん前向きに(あるいは楽天的に)考えられる人、それかグダグダ考えないで走れる人はいいですけど、私が本気で臨むには刹那的に生きなくてはダメなんだと思うのです。
刹那的という言葉はイメージが良くないかもしれません。でも行き当たりばったりとか今を楽しく過ごせればそれで良いとか、そういう意味ではない。先のことより「今」を見る、「今」に集中する、大事にする。そういうことです。
だから、
どんな未来を想像しようと、受け止めて前に歩け。その上で今やるべきと思うことに心を向けろ。余計なことは考えず、全力でそれに打ち込め。
今の私が挑むのは「夢」というより「目標」ですが、意識的にこんなことを自分に言い聞かせながら、取り組んでいます。
ボーダーライン
残業中、「人って何で働くのかね?」と、社長が溜め息まじりに問い掛けて来たので、「は…?どうかしましたか?」と返しました。そしたらなんか、ご自身の(社長業ではない)仕事に終わりが見えなかったり、思うように評価が得られないことについて去来する、虚しさ?…みたいなものを吐露されまして。
……え?
何言ってんの?経営者でしょ?その答なりヒントなり、社員に訓辞する立場じゃないんですか?
っていうかそんな心情を吐露して、環境汚染レベルの不満を抱えながら必死こいて仕事をこなしてる私に、一体どんな反応をしろっていうんですか?
…なんて。
そんな本音はまだ取っておくとして、突っ込みたいことが茶碗一杯のごはん粒の数くらいある。
やることほったらかして、早退してイベントに行っちゃうからですよ、とか。休んで旅行なんか行っちゃうからですよ、とか…
でもいいです、それも。社長には、経営者しか持ち得ない重圧とか屈託があるでしょうからね。
まぁ…
タイヘンデスヨネ 〔(◎_◎)〕
でもそんなこと言ったらね。
私だって、もっと自由な時間が欲しいです。もっと楽になりたいですよ。でも自分のためですから。こなさなきゃ次々溜まってって、もっと大変になるだけだし。
そう、何で働くのって…自分のためだな、私は。
会社に潜り込んでるのは居場所が必要だから。自分のメンタル上も、対外的にも。
そこでお金を稼ぐのは生活のため、家族のため、趣味のため。それらは自分に必要な、大切なものだから。
遣り甲斐っていうのかな、達成感を得ることだったりお客さんが喜んでくれることだったり。そこに価値を感じるのは、自分が満たされるから。
怒られたり、信頼を失くすのがまっぴらなのは、自分が傷つきたくないから。
工夫して勉強して、欠点を減らしたいとか成長を実感したいのは、人に評価されれば自信に繋がるし、自分を評価出来れば自分を好きになれるから。
それでもストレスは溜まるけど、(数少ない)休日が楽しみで、どう過ごしても無駄じゃなく感じられるのも、普段の日々に意味があるからかなぁ、とか。
全部自分のためだからやってるんです。だから踏ん張るってだけ。
お客さんとか協力業者さんとか色んな人と関わっていて、信頼し合えてる人たちとは仲も良くて大切だけど、それも核として自分が大事だからです。独り善がりな話にしか聞こえないだろうなって思うから、分かってもらえなくても良いですけど。
私が虚しいと感じるとしたら、報われてないと感じる時かな、と思います。残業続きだとか、やることがいくらでもあって仕事の終わりが見えないとか、それでプライベートが今一つ不自由でも、今のところそれで虚しいとは感じない。
むしろ…仕事が全て、なんて欠片も思いませんが、今するべき仕事が無かったり、先の見通しというか、受注見込みの案件が無い、それどころか取っ掛かりになりそうな相談すらも無い、とかいったら、その方がきっと虚しい。
何がどうなったら報われてると思うか。それは人それぞれですから、他人にアドバイスなんか出来ないし批判もするべきではないと思いますが、私は虚しがってる社長を見て思いましたよ。
自分で自分を高く評価出来るように、好きでいられるように、こうあろうと思った自分自身の境界から絶対はみ出さないようにしよう。やること、やれることはホントに真剣にやろう。
………って、やっぱり独り善がりにしか聞こえないでしょうけどね。良いんだ別に。
金魚
我が家に今いる金魚です。ショートテール琉金ですかね。
実はホームセンターのアクアショップで、MIX金魚の中から選んだ子たちです。
お店のMIX金魚の水槽ってなんか、惹き付けられるんですよ…。
この子たちで言えば、琉金なら琉金として世に出してもらえなかった理由がどこかにあるわけですけど、そんなことは気にもならなくて、どうしても覗いてみずにはいられません。行けば必ずあるわけじゃないので、行ってみてMIX金魚がいないと気落ちするくらいです。
コメットとかランチュウとか、その「品種」として水槽にいる金魚たちに惹かれないわけではないんです。朱文金とかピンポンパールとか好きで、欲しいと思う気持ちもありますし。でもまずMIX金魚を探しちゃうんですよね。
あと、金魚すくいの金魚たち。お祭りがあると毎回、子供が金魚を連れて帰ってくるんですが、そういう金魚たちにも惹かれます。何の変哲も無いただの小赤だったりするんですが、それでも、なんか。
たまに真っ白だったり、錆色だったり、三ツ尾だったりする和金がいたりして…まぁいかにもな金魚すくいの金魚ですけど、そういう子が来ると嬉しくなるんです。
あ、値段に惹かれてるんじゃないですからね!